ホップステップ七福「ヒダカアヤのおめでた日記〜能書きブログ」

2011年04月15日

五木寛之・21世紀仏教の旅〜より

「俗に染まらず、俗から離れず」

布教の旅では、決まって町外れに滞在した仏陀。

修行のためには静かな環境が望ましいが、托鉢のためには人が集まる賑やかな場所からも離れられなかったそうです。

切ないけれど、そのとおりですね。



話しは変わりますが、以下は、仏陀が亡くなる前に弟子たちに残した言葉だそうです。

「この世で自らを島とし

自らをたよりとして

他人をたよりとせず

法を島とし

法をよりどころとして

他のものをよりどころとせずにあれ

人を拠り所とせず」



仏教徒でもなく、教えを乞うのも救いを求めるのもあまり好まない私ですが、このご時世、今まで"絶対"と信じてきた「自力」の限界を感じます。

仏教の「寛容」は救いであり、偉大です。また親鸞の言う「他力」というものも、考えずにはいられません。

相も変わらず"揺れる民"でございますが、まぁそれすらも寛容に受け入れてしまえば、我が人生も救われ、何とも楽しいものです。


専ら興味の対象は「宇宙の真理」です。
しかし、理解に落とし込むのは、教えを乞うてできるものではありません。
漁り探り、様々なお知恵を授かりつつ、自らを島とし、自らをたよりに、いつか表現したいと思うことが、私の生きる"希望"です。

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↓【五木寛之氏の解説はコチラ】
もっと大きな宇宙の真理がある。

自分の尊敬する人が居ることは結構である。
だけど、権威とか、あるいは他人に対する親愛の情とか、そういう事よりも、もっと大事な、仏教の法というものがある。
ダルマといいますね。
そういう仏教の真実や真理、そういうものこそ頼りとして、他人の権威・社会の常識、そういうものに囚われることなく、自分が学んだ仏教の心を心として、そして、自分が亡くなった後も、雄雄しく立派に生きて行って欲しい、それが大事だぞと、こういう事を最後に言っている訳です。

仏陀の言っていることというのは、私は、決して、自分に頼れという風に、自我を強調しているのではないと思いますね。
それよりもっと大きな宇宙の真理というものがある。
そういうものを自覚して、そして、自分が感じた直感というものを拠り所にし、そして、それを、島と言うのは例えですけれども、河の中洲という風に訳する人も居ますね。
水が増えてきても没することなく、世の中の激流に呑まれる事も無く、大きな永遠不朽の真理というものをしっかりと身に付けて、その真理を頼りにして、自分自身の道を歩くが良いと、仏陀は、こういう風にここで語っているんだろうと思います。




Posted by ヒダカアヤ at 12:35

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五木寛之・21世紀仏教の旅〜より