2011年03月26日
人生とフリーランスの生活感
年度末で慌ただしい日々を送りつつ、震災や原発のことが気になる日々です。
今回は、天災であり、また一部では人災とも言われておりますが、
とにかく自然の大きさ・脅威と、人の命や文明のはかなさを感じました。
「歴史」という次元でも、人ひとりの人生のはかなさを感じずにはいられません。
平和で元気に暮らせてきたことは、当たり前のようで、実は希有なんですねー
例えば、私のようなフリーランスの仕事だと、先々の保障とかないので、
年の暮れになると「何とか今年一年生活できた」とか、請求書つくりながら「あぁ、来月までの生活費は何とかなるな」
みたいな、「たまたまやってこれた」という偶然の積み重ねだったりします。
つくる仕事なので、とにかく、今の仕事を一生懸命やることに尽きます。
思うに、人生も同じようなもので、
生涯は、「たまたま一週間生きてこれた」の、積み重ねに過ぎないんだろうなーと。
「これくらい生きるだろう」の目安となる平均寿命は、「たまたまの合計の平均値」にしか過ぎないわけで...
結局は「今+ココで+生きる」ってことに尽きるわけで。
「今+ココを+どう生きるか」ってことの道しるべや励みとして、「目標」とか「夢」みたいなものを決めてみたり。
「今+ココを+生きる」の結果として、「思い出」とか「いい人生だったなぁ〜」みたいなことになるんでしょうね。
だからナニ?って感じですが。。))
普段感じるフリーランスの生活感と、人間の人生の希有さが、妙にカブったもので、、、
日記にしたためてみました。
不謹慎だったらゴメンナサイ。
失礼いたしました。
今回は、天災であり、また一部では人災とも言われておりますが、
とにかく自然の大きさ・脅威と、人の命や文明のはかなさを感じました。
「歴史」という次元でも、人ひとりの人生のはかなさを感じずにはいられません。
平和で元気に暮らせてきたことは、当たり前のようで、実は希有なんですねー
例えば、私のようなフリーランスの仕事だと、先々の保障とかないので、
年の暮れになると「何とか今年一年生活できた」とか、請求書つくりながら「あぁ、来月までの生活費は何とかなるな」
みたいな、「たまたまやってこれた」という偶然の積み重ねだったりします。
つくる仕事なので、とにかく、今の仕事を一生懸命やることに尽きます。
思うに、人生も同じようなもので、
生涯は、「たまたま一週間生きてこれた」の、積み重ねに過ぎないんだろうなーと。
「これくらい生きるだろう」の目安となる平均寿命は、「たまたまの合計の平均値」にしか過ぎないわけで...
結局は「今+ココで+生きる」ってことに尽きるわけで。
「今+ココを+どう生きるか」ってことの道しるべや励みとして、「目標」とか「夢」みたいなものを決めてみたり。
「今+ココを+生きる」の結果として、「思い出」とか「いい人生だったなぁ〜」みたいなことになるんでしょうね。
だからナニ?って感じですが。。))
普段感じるフリーランスの生活感と、人間の人生の希有さが、妙にカブったもので、、、
日記にしたためてみました。
不謹慎だったらゴメンナサイ。
失礼いたしました。
Posted by ヒダカアヤ at
23:01